大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

鹿児島地方裁判所加治木支部 平成6年(ワ)54号 判決

主文

一  被告は原告に対し、金一二二万七一二八円及びこれに対する平成六年四月一六日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は原告に対し、金一五八万二三五〇円及びこれに対する平成六年四月一六日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  争いのない事実

1  被告は、平成六年一月九日午後八時二〇分ころ、姶良町内の路上において自動二輪車を運転中、奈良木信次運転の普通貨物自動車に追突され転倒し、右下腿脱臼開放骨折等の傷害を負つた(以下、本件事故という)。被告は、まもなく原告の開設する姶良整形外科病院(以下、原告病院という)に運ばれ、被告親権者らは、被告を代理して、原告との間で診療契約を締結し(以下、本件診療契約という)、原告は、本件診療契約に基づき、被告を同年一月九日から四月一五日まで原告病院に入院させ治療した。

2  原告病院は、いわゆる保険医療機関であり、被告は、社会保険の被保険者の被扶養者である。

二  原告の主張

原告は次のとおり主張する。

1  平成六年一月九日付をもつて、原告と被告を代理するその親権者らとの間で、本件診療契約に係る報酬については、健康保険診療基準によらず、一点単価を二〇円の自由診療とすること、毎月一五日と末日をその支払期限とすることを合意した。

2  同年一月二八日、原告と被告を代理するその親権者らとの間で、平成六年二月以降の本件診療契約に係る報酬については、健康保険診療基準により支払う旨の合意をした。

3  本件診療契約に係る同年一月分の診療点数は、六万九四五六点であり、同年二月分以降の診療点数は、九万六六一二点であるから、被告の支払うべき診療報酬は次の合計額と、これに対する四月一六日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金である。

六万九四五六点×二〇円=一三八万九一二〇円

九万六六一二点×二円=一九万三二二四円

合計 一五八万二三五〇円(円の位は切り上げ)

三  被告の認否及び反論

被告は、右原告の主張をいずれも否認し、次のとおり主張する。

1  右原告の主張1の根拠とされる念書(甲第一号証)に署名した被告親権者母川崎絹代(以下、絹代という)は、その書面の内容について原告から説明を受けておらず、原告から言われるままに署名したのであるから、右念書による合意は成立していない。

2  しからずとしても、右念書には「国民健康保険及び社会保険の取扱いは致しません。自賠責保険及び任意保険で診療致します。但し、病院の同意があつた場合は、国民健康保険・社会保険で取り扱います。」等の記載があり、これは、健康保険法、国民健康保険法に違反する内容であるから、右念書による合意は無効である。

3  右念書の作成に当たり、被告親権者父川崎正継(以下、正継という)は一切関与していないから、右念書による合意は無効である。

4  絹代は、平成六年一月二八日、原告に対し、社会保険の使用を申し入れたが、右申入れが初診後ほどない時期に行われたこと、本件事故による被告の傷害の治療費に関しては、社会保険によるべきか自賠責保険等によるべきかを即断し得ない事情があつたため、右申入れが遅れたのもやむを得なかつたというべきであること、鹿児島北社会保険事務所も初診日からの社会保険適用を認めていること、社会保険の使用を認めても原告の事務手続にさしたる支障は生じないはずであることなどからすれば、原告が初診日からの社会保険の使用を認めないのは信義則に反し、権利の濫用である。

5  しからずとしても、絹代は、平成六年一月二八日に社会保険の被保険者証を原告病院に提出したのであるから、少なくとも同日以降の診療費については、社会保険の使用が認められるべきである。

四  争点

1  本件診療契約に係る診療報酬について、社会保険が適用される診療期間の始期は何時か。(右のとおり、原告は、平成六年二月一日から適用されると主張し、被告は、初診日である同年一月九日あるいは少なくとも同年一月二八日から適用されると主張する。)

2  本件診療契約に基づく診療期間中、社会保険が適用されない期間(いわゆる自由診療による期間)があるとすれば、その間の診療報酬額は、どのように算定すべきか。(原告は、被告との間で一点単価を二〇円とする合意が存在すると主張し、被告は、これを否認するとともに、その合意の無効事由を主張する。)

第三判断

一  争点に関して認められる事実は次のとおりである。(甲一、二、乙三、被告法定代理人絹代、原告代表者、弁論の全趣旨)

1  平成六年一月九日晩、本件事故の連絡を受けた絹代と正継は、前後して被告の運ばれた原告病院に出向いたが、その際、本件事故の加害者である奈良木が、正継の同級生でありなおかつ仕事上の関係もある脇田重雄の経営する平和不動産建設(株)の従業員で、正継とも顔見知りの人物であることが判明した。

また、被告は当時無免許であり、本件事故は、被告が奈良木車両の進路妨害をし、かつとなつた奈良木が被告車両を追跡して双方とも信号無視などした末に、交差点で右折しようと減速した被告車両に奈良木車両が追突したという態様のものであり、更に、その直後には、転倒した被告を奈良木が蹴つたらしいことも判明した。

以上のように、本件事故は単純な交通事故とはいえず、被告、奈良木とも相当な落ち度があり、しかも、正継と奈良木が顔見知りであつたことから、その晩の正継らと奈良木らとの話合いの結果、警察への事故届は当面留保することとなつた。

2  翌一〇日、絹代は、原告病院の院長(原告代表者)から、「(被告のけがは)軽いものではないから、警察への届け出はしておいたほうがよい。」と聞かされ、その後、婦長からも、自賠責にするのか健康保険を使うのか決めるよう催促されたことがあり、絹代は、当初、右のような事情があることから、「しばらく待つて欲しい。」と答えていたが、おそらく、一一日か一二日ころ、絹代は、本件診療契約を自賠責及び任意保険によるものとし、その診療報酬を一点単価二〇円で算定することを主たる内容とする念書(甲第一号証)に、被告と絹代の名を署名して、原告に交付した。

絹代は、右念書を全く記憶していないと述べるけれども、右署名が自己の筆跡であると認めていること、その当時、被告の治療を自賠責等によるべきか、社会保険によるべきかが絹代らにとつて関心事であつたと窺われることからすれば、絹代は、その内容を理解した上で署名したものと推定しうるというべきである。しかし、右念書の内容について、絹代が正継に相談したなど、正継が承知していたことを窺わせる証拠はない。

3  被告のけがが軽いものではないという趣旨の話を絹代から伝え聞いた正継は、一一日夕刻、平和不動産に出向いて、事故届をして自賠責を使つた方がよくはないかと奈良木に話したところ、奈良木は、その際不在であつた脇田に相談することなく警察へ電話をして、事故を報告した。

しかし、脇田は、社会保険の使用を望んでいたようであり、正継は、一二日、脇田とあらためて協議した結果、脇田の意向を尊重して、社会保険を使用する方針を決めた。脇田からその旨の連絡を受けた加害車両の自動車保険(契約者は平和不動産建設(株))の保険会社である共栄火災海上保険相互会社の担当者後藤は、原告代表者に社会保険使用を認めてくれるよう申し入れることとした。

後藤は、原告代表者が土曜日以外は面会に応ぜず、一五日(土)は祝日であつたため、二二日(土)に初めて原告代表者に面会して右申入れをすることができたが、これに対し原告代表者は、社会保険を使用したいというのが本人からの申入れでなければ応じられない旨回答した。

4  後藤は、以上の経緯から、被告から原告病院に社会保険使用の申入れをさせる必要を感じ、絹代にその旨連絡したところ、絹代は、後藤の指示に従つて、一月二八日、原告病院に社会保険の被保険者証を提出してその旨の申入れをし、また、同月三一日には、鹿児島北社会保険事務所に対する傷病届を原告病院に持参した。一方、後藤は、同三一日、鹿児島北社会保険事務所から、初診日からの社会保険適用を認める旨の回答を得て、原告にその旨を連絡したが、原告は、絹代に対し、一月分の治療費については、社会保険の使用は認めず、自由診療により請求する旨を告げた。

なお、絹代は、被告が原告の病院の診療を受けるのは初めてではなかつたため、後藤から言われるまで社会保険使用のためにその被保険者証を提出する必要があるとは考えていなかつた旨述べている。

二1  以上の事実によれば、絹代が本件診療契約に関して社会保険の被保険者証を提示したのは平成六年一月二八日であると認められるから、同日以降の診療について社会保険が適用されるものというべきである。

この点に関して、原告は、その適用を同年二月以降とする合意があつたと主張するが、そのことを認めるに足りる確たる証拠はない。

他方、被告は、原告が初診日からの社会保険適用を認めないのは信義則に反し、権利の濫用であると主張するが、被告親権者らは、同年一月一二日ころには社会保険使用の方針を固めていたのであるから、そのころ社会保険被保険者証を病院に提出することが可能であつたはずであること、絹代が社会保険使用のために被保険者証の提出を要しないと誤解していたとしても、そのことをもつて提出が遅れたことについてやむを得ない事情があるとはいえないこと、また、一月一二日ころには前記念書(後述のとおり、その効力に問題があることはともかくとして)が原告に差し入れられていたのであり、その後一月二八日まで被告親権者から社会保険使用の意向が示されたことはなかつたのであるから、原告としては、社会保険を使用するか否かという問題は解決済のものと認識していたはずであること、以上の事実からすれば、原告が社会保険の適用を一月二七日以前に遡及させないことをもつて権利の濫用であるということはできない。

2  すると、一月九日から一月二七日までの本件診療契約の報酬については、いわゆる自由診療として、健康保険診療基準(一点単価一〇円で、被告の自己負担割合は二割)は適用されず、一月二八日以降分の診療報酬については、同基準が適用されることとなる。

三  そこで次に、右自由診療の期間中の診療行為に対する診療報酬の算定基準が問題となる。

1  原告は、前記念書により一点単価を二〇円とする合意が成立していると主張する。しかし、前記念書には、被告の共同親権者たる正継名義の署名が存在しないこと、正継は、前記念書の内容の合意をする意思があつたと認めるに足りる証拠はない(むしろ、平成六年一月一二日ころには、正継は、社会保険使用の方針を固めていた。)ことからすれば、前記念書による合意は、共同親権者の一方の関与を欠くものであるから、被告に効果の帰属するものとは認められない。

2  甲第六、第七号証、原告代表者本人及び弁論の全趣旨によれば、鹿児島県医師会においては、昭和四八年以前から、自賠責を使用する自由診療の報酬を一点単価二〇円として算定する申合せが存在し、鹿児島県内のほとんどの医療機関がこの基準により損保会社に請求し、かつ支払われている現状であること、これらのことは、全国的にもほぼ同様であることが認められる。しかし、以上の申合せないし慣行は、患者(交通事故の被害者)をも含めた利害関係者が当然にこれに拘束されるべき事実たる慣習であるとまでいうべき証拠はない。

3  すると、一月九日から一月二七日までの本件診療契約に係る報酬の額については、条理にしたがつて判断するほかないというべきであるが、健康保険の基準が一点単価を一〇円としていること、右のとおり、自賠責を使用する自由診療の報酬を一点単価二〇円として算定するのが通例であることに鑑みるなら、本件においては、一点単価を一六円として算定するのが相当であると判断する。

四  甲第三号証の一ないし七によれば、平成六年一月二七日以前の本件診療契約に係る診療点数は六万三九二八点であり、同年一月二八日以降のそれは一〇万二一四〇点であることが認められる。すると、右二、三において認定判断したところにしたがつて、原告が被告に請求しうる金額を算定すると、次のとおりとなる。

六万三九二八点×一六円=一〇二万二八四八円

一〇万二一四〇点×二円=二〇万四二八〇円

合計一二二万七一二八円

よつて、原告の請求は、右合計額及び平成六年四月一六日(弁論の全趣旨により支払期限より後の日と認められる)から支払済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由がある。

(裁判官 針塚遵)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例